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標題=Janis Joplin Greatest Hits / Janis Joplin
掲載媒体=rockin'on 1973年10月号
発行会社=rockin'on
執筆日=1973/09/01
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昨夜は頭の中が陣痛のようだった。手紙を4通も書いた。今となっては、物理的にも精神的にも、あちこちへ散ってしまった友人たちに対して、何か言いようのない熱中さで、書いた。怒りのような速度で、書いた。それぞれがそれぞれの場で何をしているのかも知らないが、それでも、私がその時、凝視めいていたものを、あいつも同じようにして凝視めいているのだという事だけを、信じていた。〈夜に書いた手紙は夜に出した方がいい、朝になるとたいがい嫌になるから〉と言っていた友人がいたが、結局私の手紙もそうなってしまった。それでもその夜私は、はっきりと信じる側にまわったと思った。
私がものを書く、とは、それがどのような形式をとるにせよ、それは、手紙だ。それは、具体的な他者へであり、見知らぬ者へであり、あるいは見知らぬ自分へ向けての、である。
しかし死者にだけは手紙を書けない。死者は許容もしなければ無視もしない。死者に語るべき理由も方法も、ない。
死について語ることと死者について語ることは決定的に違う。死は観念であるが、死者はまぎれもない一個の肉体であるからだ。ジャニスは死んだが私の内部では今もみずみずしく生き続けている・・・・・などと白々しいことはとても言えない。その時、何かが確実に死んだのだ。個人的に関係した死者達、あるいは時代的に関係した死者達、彼らは、最早、無機の世界へ帰ってしまい、名前だけしか残っていない。彼らの死をかかえこんでしまった私の内面に捲かれた種は、死という観念の視線だ。いささか逆説じみるが、今は、忘れてしまうことが彼らに対する最大の供養であるような気がする。
私達は死をかかえこまざるを得ないほど弱いが、死者をかかえこめるほど強くはない。
無数の死者があり、それぞれ無数の死者の困惑がある。しかし死はただひとつだ。それはつまり私の死だ。
死は確認に過ぎない。
死者は証拠に過ぎない。
日射病(異訳サマータイム)
街角を
子供連れの親子三人が
通り過ぎた
あはははは
恐怖だよな
夏の一日に
意志があるとしたら
それは
太陽の素顔ではなく
溶かされた大地と
溶けきれぬ私との間の
ゆらいだ支点ではないか
明確な影というものがある
そして
明確な影をひきずった
曖昧な肉体というものがある
私は今
全身で生きているが
実はそれが
私の
恐怖の表面積であった
ああ
そんなに楽しそうに笑わないでくれ
笑うなら
もっと
もっと
真面目に笑ってくれ!