8月5日(日)
ROCK IN JAPAN FES 2007へ行ってきました。常磐線で水戸まで行き、そこから茨城交通のバスで「ひたち海浜公園」へ。常磐線で柏より先へ行くのは初めてだ。
GRASS STAGE オープニングで渋谷陽一が挨拶。そいでマキシマム ザ ホルモン。いきなり重厚感ある音でテンションあがる。渋谷が「マキシマムは4日間フェスに来てくれたんですよぉ」と言っていたが、それは3日間の間違いだろう。
ロックというビジネス&表現シーンが素晴らしいのは、やってる連中がみんなロックが好きだということだ。マキシマムもミュージシャンであると同時に誰かの熱烈なファンなんだ。MCでクロマニヨンズをハイローズと間違えていたが、好きなんだろう。
コミュニケーションの何たるかを、心でも頭でも分かっていない連中が大きな顔をしてWeb2.0だとかCGMだとか語るインターネットの世界とはまるで違う。
最初のマキシマムで暑い中で音に合わせていたらクタクタ。こりゃあ、もたない。しかし、僕はもう現役ファンではないので、ブルーハーツがハイローズではなくクロマニヨンズになったこともよく知らず、YO-KINGというバンドをきいたてたら「なんだよ真心みたいだな」と思って、よくステージをみたら倉持陽一くんではないか。
水分をたっぷり補給しつつ、PUFFYへ。さすがに存在感がある。しかし、今日、見たかったTHE ピーズと時間が重なっているので、途中で抜けて休憩して遠くからPUFFYと大観衆の風景を見ていると、背中を叩く奴がいる。このカオスの中で奇跡的に渋谷陽一と会う。
「おまえ、みたか、これ、これ全部、オレ一人でやったんだよ」とPUFFYの観客を指さして、誇らしげというよりも、疲れ果てた顔をして言う。確かに、ヘルメット被ってステージ設営の現場監督から、ミュージシャンのブッキングから、おそらくは屋台のセレクトまで、全部、渋谷がやったんだろう。マキシマムの挨拶の時に「4日間」と間違えたのは、自分のことだろう。「渋谷陽一祭」と言われるのも無理はない。
僕が渋谷と別れてから4半世紀、あいつは孤独にハイテンションのまま走り続けてきたのだろう。スタッフはいても、僕らのように対等に意見を言えるわけではない。その年月は、いくらか感動しても良いものだと思う。
渋谷は「雨降るかもしれんぞ」と言い残して、すぐに楽屋へ消えた。僕は、SOUND OF FORESTの会場へ。ハルくんがマイクテストしている。彼も20年の歳月をロックの現場で過ごしている。スタート時間が迫ってきて、前の方の観客は「早くはじめて」という気配をハルくんに送る。しかし「もうちょっと待てば、PUFFYの客がこっち来るかもしれないじゃん。来ねぇか、来ねぇな、絶対」とか言ってる。
そして、いきなり「死にたい奴は死ね」がはじまる。「死にたい奴は死ね。死にたい時に死ね」という曲は、登場した当時は「尾崎豊の死について歌った曲だ」と聞いたことがある。尾崎豊のことなど誰も知らない会場の観客に対して、ハルのすさまじい言葉のエネルギーは健在だった。
僕がハルのことを知ったのは、90年のはじめ。家でMTVを見てたらハルの歌声が聞こえてきて、「なんだこいつ!」と思わず声をあげてしまった。すげえすげえと騒いでいたら、中学生だった娘がシングルアルバムを渡してくれた。それが「マスカキザル」だった。以来、僕としては珍しく、ライブハウスに通った。
ハルくんがシャツを脱ぐ。しかし、ヒロトもそうだけど、良いおっさんなのに、アバラが出てるような痩せた肉体。オープニングでいきなりひきこまれて、久しぶりにライブで踊りまくる。アビさんも、相変わらず嬉しそうにギータをひく。キースリチャードみたいになってきた。タイコはウガンダの時代しか知らないが、いろいろ変遷してるようだ。
あとはバラードを一曲やってもらえればと思ったが、「底なし」を聞けたから満足。「日が暮れても彼女と歩いてた」も素晴らしいと思うが、僕は、ハルの「恋は水色」が一番、心に残っている。
このあと、サニーディの曽我部恵一くんも見たかったが、体動かしすぎで、やばいので、木陰で昼寝。
来年は、もうすこし準備してから来よう。
帰りの電車で浮かんできたフレーズ。
「彼は勝ち組ではない。負けなかっただけだ」

▲充実したトイレ群