デメ研社説・政治家とは何か []
2009年12月30日 08:23
政治家とは何か?
●橘川幸夫


◇鳩山さんが「政治とは税制のことだ」みたいなことを、いつものにやけた表情で語った。政治に素人の僕でも、それは間違いだと分かる。「政治とは税制のことだ」というのは、税金を徴収することに使命感を持つ官僚の発言であって、政治家の言葉ではない。企業社会と違って利益構造を目指す組織ではない官僚にとって、「法律」を作ることが最終テーマであり、作った法律が社会に残ることによって、自らのアイデンティティを歴史に刻むことになる。官僚の頂点にある旧大蔵省の官僚にとって、「税制」が最終テーマであることには違いない。大蔵官僚上がりである鳩山さんの父親の影響での発言だろう。

◇政治家とは何か。それは、億の国民の生命を守ることである。戦時下においては、戦争に勝つことであり、それは勝利が目的という以上に、死に行く国民の数を一刻も早くくい止めることである。平時においては、国家を戦争に導かないために全力を尽くすことである。国民の生命を背負うという気概のない人間に政治を任せては危険だ。

◇平時における政治家の最大のテーマは税制ではなく雇用問題(労働環境)の安定化である。国民が飢えずに暮らせる環境を作るのが政治家の役目であり、税収とはその結果である。日本は明治維新によってそれまでの農業社会から工業社会への道を急速に進んだ。その結果、地域の農業の中で循環していたライフスタイルが崩れ、都市や工場への人工集中が起こった。その結果、農地は荒廃し、大量の失業者が地方にあふれた。特に農家の次男坊以下が大量に失業状態に陥ったのである。明治国家は、救済策として軍隊を拡大した。政治家が国民の生命を背負うものだとしたら、まず国民の仕事を作りださなければならないのだが、軍隊というのは、どこの国でも権力者にとっては一番安易な雇用対策である。もし国家が雇用しなければ、失業者が都市に溢れ、不穏分子となりかねない。かくして膨張した軍隊、とりわけ陸軍は、巨大組織の持つ暴力的なエゴイズムの力によって、戦争へと進んで行ったのだと思う。

◇思えば敗戦以来の日本社会も、何かしらの国際戦争を継続していたのだと思われる。それは非軍事の経済戦争であり、80年代バブルの時代は、戦後世界経済戦争の戦勝祝いの時代だったのかも知れない。戦後日本は軍隊を急速に拡大はしなかったけど、代わりに公務員の数を膨張させてきた。地方に行くと、崩壊した農家の子どもたちが、村役場の職員となっている姿をよく見る。国家は世界で戦う都市型の大企業の税収を、公務員という形で疲弊する地方社会を支えてきたのであろう。これはこれで、その時代の必然的な施策であったのかも知れない。

◇しかし、このような施策が永久に続くわけもなく、小泉改革は、まず国家が抱え込んだ公務員や社会保障のリストラに手をつけた。問題認識は間違いではなかったのだろうが、手法が間違っていた。国民の生命(雇用)を守るという視点が欠けていて、ひたすら実務的に社会装置のリストラだけを励んできた。なぜそうなったかというと、竹中をはじめとして小泉政治のブレーンと言われる人たちは、いずれもアメリカの方法論を学んで、日本に導入しようとした人たちだからだ。

◇国家の基盤が周縁の民族を含めて、あるエリアの民族的意志が根底にあるとしたら、アメリカは国家ではない。アメリカはさまざまな民族が集結して出来た国家形態であり、それはむしろ「企業社会」と相似している。企業国家においては、能力のない者、脱落する者は排除して、ひたすら組織の成長をはかればよい。その代わり成功した者には、それなりの栄光と報酬がある。アメリカはそのようにして成長してきた。

◇しかし、民族国家にとっては、能力のない者を排除するだけでは済まない。民族国家においては、国家は「家族」であり、家族である限り、どのように能力がなくても、身体に障害があっても、根性がなくてやる気がなくても、最終的には家族として守っていかなければならない。「他の国に行ってくれ」という訳にはいかないのである。そして、これは世界の大半の国家の、国家としての立場であり、アメリカのような企業国家の方が、むしろ異端なのである。

◇思えば、明治以降の近代日本は、「家族としての国家」を否定して「企業としての国家」を目指してきたのかも知れない。僕は小泉改革は、少しも改革だとは思えなかった。
それは、明治以来の近代化、企業国家化を更に推進しただけに過ぎないと。

◇「IT革命が格差を生んだ」と発言した評論家がいるようだ。それは正確ではない。戦後社会は第一段階は「重厚長大企業」が発展させ、第二段階は「軽薄短小企業」が発展させた。その次の産業基盤を情報技術に焦点をあてたことは間違いではないだろう。日本は、工業化社会から情報化社会へのシフトにおいて、最先端を行ってることは間違いないのだから。しかし、多額の国家財政を使って行ったIT投資が、本来の目的である「ITで雇用を増やし、国民の食い扶持を稼ぐ」という目的を、政治がしっかりコントロール出来ずに、雇用名目に引き出された資金が、一部の金融業者たちにもてあそばれ、IT経営者をまきこんだマネーゲームに堕してしまった。政治の資金は、予算措置の段階で終わるのではなく、最終効果を把握しなければ意味がない。本来の目的である、現場で働く国民に還元されずに、密室のマネーゲームが膨らんで、消えた。

◇公務員の大量雇用など、膨張した日本の国家運営体制をリストラするのは、80年代のバブルの時代であれば効果があったかも知れない。しかし、日本の政治家・官僚たちは、バブルの時代に舞い上がり、更なる無駄な浪費を拡大してしまった。そして、それは政治家や官僚だけではなく、僕たち国民全員が多かれ少なかれ、舞い上がってしまった時代だったのだろう。

◇そして、今、台頭する中国・インド・ブラジルなどが「高度成長時代の日本」そのもののように「豊かな社会」を求めるハングリー精神をエンジンとして成長を続け、日本のインカムを急激に減少させている。成長する国家は、政治家の指導力以上に、若い世代の活力あるモチベーションが重要である。日本はすでに「豊かな社会」を実現してしまったのだから、これ以上、国家経済を拡大するモチベーションはもちにくいだろう。

◇日本家族は、老いた両親たちと覇気のない子どもたち、見た目は豪華な立て付けだが、手入れの出来ていない老朽住宅に暮らしているようなものだ。しかし、家族である限り、離散することは出来ない。この場所から、もう一度、生活を立て直さなければならない。かすかに見えるのは、工業化社会から情報化社会への移行という世界の現実だ。中国・インドなどは、まだ工業化社会の確立を目指しているのに過ぎない。日本は、その次のターゲットを狙える位置取りなのだ。情報化、国際化、環境安定化など、探せばまだ「新たな雇用」の領域があるはずなのだ。

◇公務員は各省でリストラを行っているようだが、一部、増員されている部署があると言う。それは「税務署」と「警察」である。税務署は、国家のいわば営業部である。企業だって売上げが落ちたら、マーケティング部から営業部へ転任させるケースがあるが、それと似たようなものか。どんな企業だって、叩けばチリやホコリが出てくるだろうから、税務署をテコ入れして、税務調査の戦線を拡大しようというのだろうか。いかにも、財務省の考えそうなことだ。そのことによって、更に日本社会は疲弊していく。

◇政治家の役割は、国民の生命を背負うことだ、ということを、頼むから自覚して欲しいと思う。新たな転職先や、地域や組織の代理人だったり、芸のこやしにするために政治家になる人たちが、なんと多いことか。

◇そして、現在の最大のテーマは「雇用問題」である。税務署や軍隊の増強に頼らない、誰もが自発的に勤めたい仕事を創出することである。デメ研的には、一つの方向性をまとめてあるが、これは政治と行政の現場の人たちと議論を進めていきたい。

◇国内の雇用問題に失敗した力のある国家は、戦争に走る。そのことは、心に刻んでおきたい。




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