デメ研マニフェスト2
[社説]
2009年12月 6日 01:55
90年代の僕の日記を読んでいた人は、何度も書いたことがあるので知っていると思うが、僕は小沢一郎さんのファンである。ただし、通常のファンのように、絶対化するわけでも支持しているわけでもない。彼の政治家としての職人的技術を見ているのが好きなのである。小沢さんが悪党であり、裏工作ばかりしていて、自分の意に合わないブレーンを冷酷に切り捨てる、というような風評も、文学的に見れば、とてもドラマチックな人生を感じる。表向きはリベラルな顔をして、裏側では、とんでもなくエゴイステックな欲望で利権に群がる連中に比べれば、小沢さんの悪党面はずいぶんと正直者に見える。世間の評価が冷酷・独断と指ささればさされるほど、僕にとっては三国志の曹操のような、権力構造の職人として映るのである。今回の選挙で、中選挙区時代に自民党同士で争っていた人間を民主党にスカウトしてくる技は、見事としか言いようがない。
明治以前、日本人の「くに」という概念は、「故郷」であった。「おらがくに」なのである。それは「越後」であり「信州」であるというように、地域に根ざした「くに」が日本中にあった。人は自分で生まれた場所を愛し、生まれた場所で死んで行った。徳川幕府は国内をまとめたが、それは一つの国家にしたわけではなく、徳川も駿河の一藩でしかなく、ただ、日本最大の藩であったということだ。
だから、欧米が日本に向かってきた時に、日本中の「くに」はバラバラに対応し、徳川幕府の言うことを聞かなかった。それでは、日本は欧米に侵略されてしまう、と考えた当時のインテリたちが、明治政府という、日本で初めての統一国家を作ったのである。そして、長州や薩摩のインテリたちが東京に集結し、欧米と交渉し、対抗出来る近代国家を築いた。
この過程の中で、日本には、二つの種族といってよいスタイルが出来た。一つは、近代日本国家を作るという、頭脳明晰なインテリたちという種族と、その他の普通の、本来の日本人生活者。前者を国際派と呼び、後者を民族派と呼ぶ。国際派と東大に目指し、東大卒のネットワークを作っていく。国際派は旧・大蔵省を中心官僚組織を築き上げ、国際派の政治家と連携して、日本を欧米に匹敵する国家に仕上げてきた。彼らにとって、欧米社会こそが憧れの社会体制であったのだ。
しかし、国際派は優秀だが少数であるという欠陥を持つ。戦後の民主選挙制度は、優秀な人もそうでない人も、一人一票の選挙権が与えられ、民族派と呼ばれる政治家が勢力を持ち始めた。民族派とは、明治以前の日本に脈々と残っている「おらがくに」を代表する先生であり、そのシンボリックな存在が田中角栄である。田中角栄は、国際派の拠点である官僚組織を、手練手管で動かした。僕は学生時代に国会議事堂でアルバイトをしていたことがあるが、福田・中曽根さんの高慢な態度に比べて、田中さんの笑顔に心ひかれるものがあった。
田中角栄を民族派のシンボルとすると、岸・佐藤からの流れを引き継ぐ、福田赳夫の清和会が国際派のシンボルであろう。現在の政治状況を見ると、自民党は旧・清和会り系譜であり、民主党の小沢一郎は田中角栄の直系である。近代政治の大きな流れから見れば、旧・自民党の派閥抗争が、一回り大きな舞台の上で行われているのだと思う。
第二次世界大戦は、民族派の拠点である陸軍が、国際派の拠点である海軍の反対を押し切って暴走し、戦争に突入したという経緯がある。80年代バブル以後の日本の混乱は、国際派が「グローバル経済」という錦の旗をもって暴走し、民族派の「くに」をボロボロにしてしまったということだろう。その復讐が、今回の選挙ということになろう。
さて、選挙はやがて終わる。新しい現実がはじまる。小沢さんの動きは、すでに来年の参議院選挙に向かっているのだろう。10月に予算の再編が行われる。民主党のマニフェストに沿った形で予算が設計されるだろう。「これとこれだけは実現しろ」と政治が官僚に言えば、それを仕上げるのが優秀な日本の官僚である。まして、ここから4年間、自民党の挑発にのらずに民主党が解散選挙をしないがぎり、権力構造は保証されるわけだから、官僚も従わざるを得ない。現在の自民党は、行政に対しての影響力を失い、疲弊していくだろう。小沢さんは、長い野党生活をしていても、いつか自民党にリベンジするという執念があったから、利権のない野党でいられたわけだが、果たして、現在の自民党に、それだけの持続的な執念を持つ政治家がいるだろうか。目先の利益だけを追求してきたのではないのか。
そして、秋の予算再編は、来年の参議院選挙へ向けての、用意周到な布陣となる。自民党が選挙対策で大型補正を組み、エコポイントなどという、自動車会社と家電大企業と大型流通企業への減税みたいな施策をやったが、自動車も買えない、大型冷蔵庫も買えないという庶民にとっては、なんの実感もないものであった。この辺の感覚も、インテリたちの景気の数字遊びで、ひとりひとりの大衆の現況が見えていない施策だったろう。大企業に入った税金は、大企業の収支にとっては救い水だろったろうが、それが下請けに還元されていくとは思えない。
僕らは、大きな時代の流れをみつつ、現場での実感を社会全体に伝えていかなければならない。具体的にやるべきことは、具体的にやるしかないのだから、ここでは書かない。少なくとも、投票だけして、あとは期待するだけという態度だけは、すくなくとも大の大人のするべきことではないと思っている。