出版の未来(4)Twitterと本の役割について
[社説]
2009年12月 6日 04:31
◇僕は自分の人生でやるべきことを19才ぐらいの頃に漠然と思っていて、20代は時代の中心を走り抜ける、と決めた。30才になったら、自分自身がより若い世代に乗り越えられるようになるだろうから、時代から少しずれたところに身を置こうと思っていた。
◇20代はロッキングオンという雑誌と共に時代を走り抜けたつもりだ。そして、30才になった時に、20代の時に得たものをすべて捨てて、身軽になり、単行本を書いた。1980年の「企画書」という本だ。そこから20年間、ほぼ4年に一冊の割で、自分にとって重要な本を出し続けてきた。自分の考えやイメージを単行本にまとめるには、それなりの時間がかかる。4年に一冊と決めたのは直感からだけど、オリンピックが4年に一回というのは、スポーツ選手の力量が熟すのにも、そのくらいの期間が必要なのだということではないか。50才を超えると、更に身軽になり、本を不定期に出し続けているが、自分にとって大事な本は、30代に書いた何冊かの本だ。
◇さて、Twitterの意味だ。僕は「自分が見たもの、感じたことを伝えたい」という内的衝動から雑誌を作ったり本を書いたりしてきた。「雑誌を作りたい、本を出したい」というのが先にあったのではない。僕が今10代だったとしたら、おそらく雑誌は出さないだろうし、本も書かなかっただろう。それは、インターネットがあるからだ。
◇アメリカの若くて優れたエンジニアたちは、かつてはマイクロソフトに入社してOSの開発に従事するのが憧れだった。自分の開発したシステムが世界の人たちに使ってもらえる喜びが得られるのだから。しかし、今はGoogleに入社するのが憧れとなっている。それは、MSで開発しても、自分の開発した技術が世の中に出るのはOSのバージョンアップ時期、すなわち数年先になるからだ。それに対して、Googleで開発すれば、それが優れた可能性があると判断されたら、来月にでも採用される。このリアルタイム感を知ってしまったら、OSのバージョンアップ期間の長さが若い才能にしてみれば苦痛になるということだ。
◇表現する側の要素は、かつては「深める、追及する、完成させる」ということが大事だったけど、それに「速度」という要素がついてきたのだと思う。表現の速度について、最もシンボリックなメディアがTwitterである。思いついてから誰かに伝えるまでの時間的距離がほとんどない。
◇Twitterは旧来型の表現者には抵抗があると思う。旧来型の表現者は、自分の思ったことをまず自分の内部にため込み、熟成発酵させてから、自分なりの表現として世の中に出して対価を得るものであった。思ったり感じたりしたことを、すぐにTwitterに出したら、何かもったいないような気がして、躊躇するのだろう。しかし、問題は「表現をしたいのか(本を出したいのか)」、「思ったり感じたりしたいことを伝えたいのか」ということになる。後者の意識が強い人はTwitterに向いているし、前者の意識が強い人はTwitterに向いていない。
◇さて、さきほど、僕が今10代だったら本は出さない、と書いたが、それは嘘です(笑)。本を出す意味が変わってくるだろうということです。かつてはインターネットがなかったから、雑誌や本でしか、自分の内部の表現衝動やコミュニケーション衝動を発露する場所がなかった。しかし、今は、それはインターネット上にある。衝動的な表現をしたあとで、整理・吟味・反芻した結果としての本の役割は別物だと思う。そして、その行為を実現するには、やはり個人にとっては4年程度の時間が必要なのだと思う。
◇今の出版崩壊は、本来の本を生産するのに必要な時間サイクルを無視して、雑誌のような本を大量に発行することによって拡大した市場が滅びていくということである。村上春樹のベストセラーは、やはり本を出すには、それなりの時間が必要だということを示している。3時間のインタビューで1冊の本を作りだすシステムでは、インターネットに勝てない。アイドルと同じで時代の旬が過ぎたら飽きられる消費物になるだろう。インターネットを使えばいくらでもネタとアイデアを拾って本という形式に落とし込むことは出来る。しかし、そんなものは「本」とは呼ばないのだ。インターネットの時代であるからこそ、本来の本を作るために使われる時間と努力と才能が重要になってくるのだと思う。
◇時代はもういちど、本来の本とは何かを思い出せ、と命じているのだろう。
●橘川幸夫