マーケティングの復興を
橘川幸夫
◇先日、子ども調査研究所に行って、近藤純夫さんとおしゃべりした。子ども調査研究所は、僕の心の故郷。1969年、19才の時に週刊読書人に投稿した僕の原稿を読んで連絡をくれたのが所長の高山英男さん。高山さんは、僕の一番最初のメディアを通して知り合った読者であり。僕を発見してくれた人。以来、40年間、僕は何かあれば神宮前の事務所を訪れて、高山さんや富岡さんとおしゃべりをしてきた。
◇高山さんは、もともと出版社の編集者で、横浜の学校の先生だった阿部進さんを発見し「現代っ子」というネーミングを考え、カバゴンを世の中に送り出した。編集者としては、松本俊夫さんの「映像の発見」という書名も高山さんがつけた。高山さんは、大島渚、寺山修司さんら当時の第一線の人間たちと付き合い、手塚治虫さんをはじめとするあらゆるマンガ家と交流していた。そして、編集者の嗅覚で、若い無名の人材を発見することについても天才的であった。学生時代に子ども調査研究所に集まっていただけでも、僕の他に、ジブリの鈴木敏夫さんや、マンガ評論家の村上知彦くんらがいた。僕らの下の世代でも、あらゆる領域で活躍している人たちがいる。僕は日本のアップルハウスだと思っていた。
◇僕が、二十歳の頃に最大の影響を受けたマンガ家の真崎・守さんと出会ったのも、この事務所だった。「闇縛り」は、このマンションの4階の部屋でやった。少年マガジンの編集長だった内田勝さんと高山さんは親友であり、内田さんが「ホッドドッグプレスを創刊する時に、僕を紹介してくれたのも高山さんである。
◇子ども調査研究所はマーケティングの会社だが、組織的な拡大はいっさい目指さず、高山さん、近藤さんをはじめ、玉造さん、渡辺くんなど、一騎当千の人材が、あらゆる子ども関連企業の商品開発の仕事を受けていた。まるで「同人雑誌みたいな会社だな」と思ったことがある。僕がデメ研を作った時のイメージも、ここに借りている。面白いことを考えたり実行してる奴ならば、いつでもどこでもアポなしで訪れることの出来る空間だった。
◇本業であるマーケティングの仕事でも、戦後の子ども産業の中心を走ってきた。「リカちゃん人形」の登場も「人生ゲーム」の登場も、高山さんたちの力が大きい。僕が「ポンプ」をやめて独立した時、高山さんの紹介でバンダイのコンサルに入ったこともあった。
◇そういう経緯なので、ぼくは 学生時代から、子ども調査研究所の活動に触れていたから、企業のマーケティング調査の意味を分かっている。実際、子どもたちのグループインタビューやアンケート調査の集計などを手伝ったこともある。
◇「子ども手当」のプロジェクトが始まったので、久しぶりに、最近の子どもたちの現況について教えてもらおうと、近藤さんに会った。すると、驚くべきことを言われた。「橘川くん、企業はもうマーケティング調査なんかしてないんだよ。電通だって、マーケティング局なんかないし」と。
◇マーケティングの限界については、僕も80年代から言い続けていて、90年代に
「シフマーケティング」(ビジネス社)という本で、詳しく説明したことがある。商品の主導権が工場・メーカーから流通、そしてユーザーへとシフトしていくのだから、定量的なニーズ発掘などはなくなると書いた。
◇しかし、それは旧来の統計的手法が無効になっていくのであって、企業がマーケティングそのものを放棄するということではない。愕然として、その夜、もう一度、現在の状況を考えなおしてみた。ポイントはこういうことだろう。
●10数年前から、マーケティングの効果が薄らいだ、豊かな社会が実現して、消費者自身が自分が何を必要としているのかを見失っているのだから、調査しても何も出てこない。
●個人情報保護法案によって、アンケート調査などがしにくくなった。インターネット調査がはじまって、安価に大量の回答が集まって、それまでサンプルの確保がマーケテイング会社の資産であったのが、意味を失った。しかし、僕自身もインターネットの勃興期にインターネット調査をやって、驚くべき効率性に感嘆したことがあるが、やがて、これき特別なマニア的な人たちの回答であって、実体とは違うな、と思うようになった。
●今は、インターネットでの調査が一般的なのだろう。こんな調査をやって何の意味があるのか分からないが、むしろ、ここに一番の問題があるのではないか。つまり、企業が消費者の本音を探ろうという態度を放棄しているのではないか。
●つまり、時代は「マーケティングの時代からブランドの時代へと移行した」と。マーケティングはニーズ探索であり、ブランドは企業からの一方的な押しつけである。そして、10数年前から企業社会においてのテーマ、マーケティングを充実して消費者に満足を与えることよりも、システムを拡大し、店舗数を増大して、コストを下げることによって利益を増大させる方法に変容していったのだ。
◇地場の八百屋の親父が、毎日買い物に来るおばゃんたちの顔色をうかがいながら品揃えと価格をリーズナブルにして成長した。それが個人の経営の努力の範囲を超えて成長すると、システム化がはじまり、やがて投資家達のM&Aの対象になる。投資家達が経営を握ったら、もはや、おばちゃんたちの顔色なんぞは意味がない。ただひたすら、数字的に売上げとコストの削減、利益率の効率化を進める。ネギも自動車も洋服も同じように売るようになる。そうやって、あらゆる業態が日本中、どこにでも存在するようになった。
◇それはそれで意味のある行動だった思うが、薄っぺらい豊かさだ。いつか限界が来るに決まっている。こんなに店舗数増やして、ユニクロは、今後、何を売るつもりだろうと思う。
◇産業社会に、マーケティングの復活を望みたい。おばちゃんの顔色をうかがう態度を回復すべきだと思う。金融業界は長い冬の時代に中で、「貸し付け業務」の実務が激減したために、金融業の本来の業務である貸し付けのノウハウが行内から消えてしまった、という笑えない話がある。メーカーが、アリバイ作りのインターネット調査しかしないで、本来のマーケティング発想を放棄するなら、戦後社会を築いた、企業とマーケティング会社の関係は崩壊し、マーケティング実務者のノウハウも消滅するだろう。
◇日本の戦後社会の発展は、有能なエンジニアたちの生産力、かゆいところに手が届くマーケッターたちの商品力の合同力であったはずだ。経営者たちは消費の現場のリアルに触れるべきだ。10数年前、日本の家電メーカーが中国に進出しようとした時、僕は工場や販売店を整備する前に、マーケティング会社を設立して、まず中国人の生活と意識を把握してから進めるべきだと言った。ひとりひとりの気持ちを尊重して、デリケートに手を差し伸べる力と技こそが、日本人の持つ最大の武器だと思ったからだ。
◇アメリカ型のシステム・マネージメントや、中国型の孫子の兵法的産業布陣力とは違う、日本独自の産業方法論をつかまない限り、日本は何をしても二流のままで終わる。