菅直人と小沢一郎
[社説]
2010年9月 6日 07:44
●橘川幸夫
内閣総理大臣・菅直人さんを見ていると、とても勉強になる。もちろん反面教師としてだが。選挙の時に消費税を言い出して、地雷を踏み、そのあとはまったく生気を失ったように呆然として宙空を見るばかり。その時、思い出したのは、青島幸男さんが都知事になった時のことだ。青島さんは、個人プレーの政治家で、「自民党総理は男メカケ発言」や「国会でのハンガーストライキ」などでマスコミの話題をさらい、選挙中は選挙活動もしないで外遊していても当選するほどであった。マスコミ、世論の追い風を受けて都知事に就任したが、やったことは、お台場での世界都市博覧会を中止しただけ。就任した直後から、今の菅さんと同じような能面のような無表情になり、個人プレーを封印して官僚の操り人形のようになってしまった。それは、個人で発言する時の言葉の意味と、都民全体を背負う時の言葉の意味が違うことに気がつき、怖くなってしまったからではないか。
菅直人さんも、権力を目指している時の顔と、権力を握ってからの顔がまるで違う。国民を背負い、国家を背負うということの意味を知らなかったのだと思う。最近になって菅さんは「国家を背負う覚悟」みたいなことを言い出したが、そういう覚悟は、思いつきのように言うべき言葉ではなく、政治家になる一番最初から思い、長く育てていくものだと思う。喧嘩しながらも仲間たちと楽しくやっていた零細の企画会社の社長が、いきなりトヨタの社長に就任したら、発狂するだろう。
菅さんが「雇用、雇用、雇用」と叫んでいるのを見ているともの悲しくさえなる。菅さんが官僚に丸投げしている経済活性化とは、またぞろ、エコポイントなどのことだろう。エコポイント制度で何が起きたか。大企業である自動車、家電メーカー、あるいは大手家電販売店などは利益を出したが、それが中小零細の下請け業者や出入り業者へと再配分されることもなく、企業の内部留保を増大させるだけだった。そのことで大手企業経営者を責められない。こういう時代環境の中で、大企業の経営者もまた、自分たちの会社の社員全員を背負っているのだから、再配分には慎重になるだろう。まして雇用の増加には結びつかない。政治の役割とは、企業経営者の更に上部構造の視点で、国民全体の活性化を計ることである。
参議院選挙の時の消費税発言も、菅さんの持論とは思えない。菅さんを支えている人たちのアドバイスだと思う。そして敗れた。あの敗北は、大きな意味がある。それは、官僚もインテリもマスコミも、ほとんどすべてが消費税を上げるべきだ、という論調を広げ、菅さんもそれに乗った。しかし、国民は、否定した。マスコミが総力をあげても、国民を洗脳することは出来なかったのだ。小沢首相が、これだけのマスコミの反小沢キャンペーンの中で実現したとしたら、それはマスコミの敗北である。マスコミの死とは、新聞の部数減でもTVの広告収入激減によってではなく、国民に信頼されないメディアになることに他ならない。
小沢政権が実現すれば、地方分権化の道が動き出すだろう。心配なのは、小沢さん自身ではなく、その取り巻きたちの動きである。権力亡者は中心よりも周囲に群がる、虎の威を借りる狐たちである。地方分権化は、正しい道だと思うが、それが新たな利権構造にならないように注視する必要があろう。当然、期待もある。地方の首長の判断によって、全体として認められない施策実施も可能になるからだ。例えば、電子教科書なども、全国一律に同一サービスを実施するのは時間がかかるかもしれないが、先進的に首長が予算を握れば実験的な推進も可能になるだろう。
僕は、国家を背負うことも、そんなこと思うこともしない一介のライターだが、自分が最初にスタートした時の漠然とした方向はある。中央主権から地方主権へ、更に、個人主権への道である。子ども手当という政策は、個人主権への道の最初の光明として僕には見えたが、議論が深まることもなく、政争の具になってしまった。こういう時は、じっくりと個人の内側で検証してみることが大切だと思う。
誰にとっても現実は重たく、固く、冷たい。菅さんは、おそらく、僕らの想像のつかない現実に直面したんだと思う。いわゆる「総理大臣の孤独」というものだろう。青島幸男さんの時もそうだった。彼は、都知事になって、すぐに取り返しのつかない立場に就任したことを感じたはずだ。周りから「どうして、やりたい施策を実施しないんだ」と言われると「都知事の重たさは、おまえなんかに分かるか」とブチ切れたそうだ。誰も相談する相手がいない。彼が頼ったのは、家族だけだった。都知事を退任する時、家族が「お父さん、よくやった」と拍手している光景は、慄然とするものだった。何の自発的成果もあげられず、官僚のシナリオ通りに演じた都知事を、それでも暖かく支える家族がいる。しかし、本当の「権力者の孤独」とは、家族の情も超えたところにあるのではないか。
青島さんは、都知事を退任して、古い仲間たちのいるテレビ業界に復帰したが、あのスーダラ節を生み出し、日本一の無責任男という時代のコンセプトを表現した男が、東京一の責任男という重圧に押しつぶされて、本来の生気は最後まで取り戻すことが出来なかった。菅さん、選挙に負けたら、ほっとするのではないか。青島さんも菅さんも、「権力者の孤独」に触れたかも知れないけど、その孤独さを飲み込んだ上で仕事をすることが出来なかっただけだろう。
いずれにせよ、曹操・小沢の政権が近づいてきた。地方分権の流れの中で当初は混乱するだろうが、僕が期待するのは、むしろ中央の官僚たちである。彼らは、現状、あまりに余計な調整作業や書類チェック作業に忙殺されている。その負担が軽減されれば、心ある官僚たちは、本当の意味での中央官僚としての役割が見えてくるのでないか。